うだうだしながら
- 2018.04.23 Monday
- 19:49
はいっ、公休日!
とは言っても、今日は、急な欠勤者による運行ダイヤの穴に備えてAM5:00から8:00まで待機しておく当番日でした。
サドンデスの恐怖に耐えながら3時間をやり過ごし、幸運にも無事釈放となりました。
乗務宣告を受けた時のショックを軽減するために半分仕事をする覚悟をしていたので、釈放された後の時間のお得感はありますが、そうはいってもそれからガッツリ遊びに行く気にもなれず、家に帰ってうだうだしました。
うだうだしながら考えたのですが、人は必ず死にます。突然ですが。
何かの本に書いてありましたが、自分の死を知っている動物は、人間くらいだそうです。
でも、いつかは必ず訪れる自分の死を、なかなか現実感を持って受け入れていない自分がいます。
あえて考えないようにしているのかもしれません。
あまり考えて楽しくなる事柄ではありませんから、目を背けちゃいますよね。
でも、うだうだしながら考えてしまったんです。
根拠はありませんが、まあ75歳くらいまで生きるとしても、あと20年。
たった20年。
これまでの経過感覚からしても、恐ろしいほどアッという間です。
毎日、余計な事を考えずに楽しく突っ走って、充実した日々を繰り返しながら気がついたら死んでたというのが理想でしょうけど(気がつきませんけど)、実際にはどこかの段階で現実的に自分の死というものに直面しなければならない瞬間がきて、その現実に狼狽してしまう時が必ずあるような気がします。
そうであれば、現段階で、必ず死が訪れるという現実をはっきりと認識し、と言っても悲壮感に暮れながら生活するということではなく、そうした現実を受け入れながら残された人生を楽しむのがいいんじゃないか。
ということで、その方法として、自分の死ぬ年齢を75歳と設定し、そこから逆算した20年をカウントダウンしながら生きて行こうかなと思ったんです。
早まっちゃったら仕方ないし、遅れたらちょっと得したと思うようにして。
私は人が生まれたことに、特別の意味や使命はないと思っています。
だから、まあせっかく生きているんなら、楽しんだらいいんじゃないかって。
でも、頭ではそう思っていても、なかなか純粋に日々を楽しむっていうことができていないのが現実です。
今日からは、死ぬまでの20年のうちである貴重な1年1年をかみしめながら、いや1日1日をかみしめながら、どんな些細な事でもいいから生きていてラッキーだったと思えるような楽しいことを見つけながら、残された短い時間(意識しないと、短いことにすら気がつかない)を過ごしていこうかなと思います。
うだうだした休日が、こんなに今後の人生を考える壮大な休日になるとは思いませんでした。